2012/06/30

エルフ戦記 Ⅲ(1)続き

 海の見えるテラスに出ると春を告げるセフィーロ(ゼファー:西風)が心地良い。しかしここは夏になると暑すぎる。元の世界よりずっと温暖なのだ。
 東方遠征の艦隊を揃えるには、アフリカ東海岸で行うことも考慮すれば、二年から三年かかる。すぐには動けない。
 アルプスで避暑というのもアイデアとしては良いが、ヘルウェティイ族(現在のスイス西部に居住)はローマに帰順していなかった。行けば一波乱起こるに違いなく、とりあえず固まったローマの北方を騒がせることになる。

 飽きることなく海を見ていると、ヘレンとアウレリアがテラスのテーブルに茶の用意をしてくれた。専属の奴隷たちの仕事を取り上げるので苦情もあるが、二人は決して悪い主人ではない。
 配膳を終わり何かを取りに戻ろうとしたので声をかけた。
「二人とも座りなさい。言っておくけど、団扇と汗拭きはいらないから」
 大船が完成するのを無為に待つ必要はあるまい。

エルフ戦記 Ⅲ(1)続き

 さてこうなると密かに旅立つというわけにはいかない。もともと皆に迷惑を掛ける気はないので、トキに内緒でとはいかないし、船には信用できる乗組員が必要だ。まずは山猫族のピピを呼び出した。
 
 私の希望を聞いたピピはとても嬉しそうに尾をくねらせはしたが、発言は慎重だった。
「インドのさらに東への航海となれば大冒険ですね」
「そりゃあ、アマンへの旅に勝るとも劣らないだろうね」
「アマンとの間には大洋がありますけど、インドは地続きですよ」
「う~ん」
 木登りが得意な山猫族は帆船の優秀な船員なのだが、どちらかと言えば水の上は好きでない。それにインド洋上にある我が国の船舶はアマンへの航海にもちいた大船ではなかった。アクスムで大船を建造してからの方が安全なのは言うまでもない。船大工たちは十分経験を積んでいるので一艘なら半年もあれば充分なのだが……

「よしわかった。アマンの時のものより安全な船を造らせよう」
「え~っ、すぐ出発しないんですか?」
 計画をざっとパピルスに書いてトキに届けさせる。
説明を聞こうともせずピピは飛び出して行った。

エルフ戦記 Ⅲ (1)

(1)

 ハンニバルとガリアの脅威は過ぎ去り、ローマ世界に平和がおとずれた。
 地中海沿岸でローマ・アポロニア連合に逆らう勢力はない。しかし平穏を望んでいたはずの私は退屈していた。別に暇なわけではない。事実上のトップとして政治を行なっているトキ・ゲンドゥルは私にアポロニア女王として、時に女神として振舞うように求めている。 トキの苦労は理解しているのでなるべく協力しようとは思っているのだが、どうも威張ってふんぞり返っているのは性分に合わなかった。

 海が好きな私の頭に最初に浮かんだのは東方への航海だ。西方アマン(アメリカ大陸)への航海は、ある理由から必要なものだったとは言え、そして危険に満ちたものだったとは言え、今となればとても楽しい思いでである。そしてプトレマイオス朝と親しい我が国は紅海を通じインドと交易をしていた。インドだけでなくアクスム王国(エチオピア)にも商館がある。
 しかしインドから東の情報は固く閉ざされていた。マレー半島やチン(秦)の特産と称した品が交易されているのにかかわらずだ。まあ気持ちはわからなくはない。インドの商人は中継ぎで莫大な利益を挙げているのだから。ただトキの歴史の知識では、インドのマウリア朝は10年ほど前にアショーカ王が没してから混乱状態にあるはずだ。これならさらに東へ進む航海を妨げる余裕はないに違いない。
 もちろんヴァスコ・ダ・ガマのひそみに倣(なら)ってアフリカをまわってもいいのだが、オスマン・トルコの存在しない世界でわざわざ遠回りをすることもないだろう。


 それに東に向かうというのは単なる暇つぶしと逃避だけが目的ではない。歴史に干渉していくなら、しかも大きな影響を与えたいなら東アジアや南アジアを無視するのはまずいやり方であろう。それにはまず、現在の状況を詳しく知る必要があった。

エルフ戦記 Ⅲ




 大秦国は大月氏西方の大国なり。太陽神の妹と称す寄与を女王となし、都羅馬の貴人が合議で政(まつりごと)をしている。

 不老と言われる寄与は建国以来常勝であり、周辺の夷狄から神と尊ばれていた。申馬台、数奇台、丁零などはその類(たぐい)である。精強を誇る匈奴さえ隔年で遣いを送るのは広く知られているとおりだ。

 武帝の治世の三年目建元二年に張騫が西域に派遣されたのは大月氏との同盟だけでなく、大秦国の情勢を探るのが目的だったと言われている。


 一説に言う。南蛮夷の崇拝する夏罹摩亭観音も女王寄与を示すと。しかしながら、これは誤りであろう。もしそうなら漢は既に包囲されているに等しいことになる。

曹大家著『西域志』